回想法を騙る「見世物」では、回想(法)には至らない!

2018.07.10 Tuesday

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    近年急に、回想法と称して、色んな見世物的パフォーマンスがやられている。

     

    稚拙な介護職員の幼稚なお祭り騒ぎから、自分の得意分野を説明、ガイド、披露に終始するボランティア、果てはNHKまでが、受信料で作った無駄な古い番組を、さも有意義なものとしてアピールする為に、回想法にこじつけて出そうとしている。

    また、全く的外れなVR回想などと言ったものまで出てきている(これは怖い企画だ!)。

     

    人間がやる事だ。色々あっても良い。

    だが、ダメな事が一つある。

     

    それは、一方的な「見世物」を回想法に使ってはならないという事だ。

    単に昔の映像を見せるだけ、学芸会やお遊戯会的な見世物は、見ている者を回想には導かない。

    果たして「回想」の意味を理解しているのか、勉強しているのか、大いに疑問だ。

     

    「見世物」は「ふ〜ん・・・」で終わり、しばらくすると、何があったのかも覚えていない。

    演じた者だけ、やった者だけの自己満足で、見ていた者には、単なる暇つぶし、時間の無駄遣いにしかならない。

     

    こんな見世物的なアクションを、回想法だ、回想レクリエーションだというのは、あまりに稚拙すぎる。

    個人の尊厳を無視した暴走だ。

    勝手に通り過ぎていく「見世物」、置いてきぼりにされがちな見せられている者、全く回想法にはほど遠い!

     

    回想とは、過去の経験、体感した事に関して、再認感情を持って、振り返って想起する事、即ち「あるある探し、時系列の整合、言語化」する事である。

    そして、最も重要な事は、「関わり」と「なりきり」の感情である。

     

    単なる「見世物」を「回想法」にこじつけてはいけない。

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